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うるう年

夕日


地球は自転することにより1日が決まり

太陽の周りを公転することにより1年が決る

しかし 1回の公転は365日ではなく

正確には 1年で 0.2422日分不足している

その誤差は 4年で 0.9688日となるため

4年に1回だけ 1年を閏年の366日として調整する

しかしそれでは 4年で 0.0312日 

1年で 約0.0078日分の誤差が生じることになる

-0.0078日の誤差は400年で 3.12日の誤差になるため

400年の間に3回だけ閏年でない平年を作ることになる

これが閏年の計算根拠なのだそうだ

なお それでも-0.12日(年平均-0.0003日)の誤差がでて

この誤差は 西暦4882年には1日の誤差になります

この時の調整は もう現在の人々には関係ないが

49世紀の人類は まだ同じような調整をしているだろうか?

2月28日の夕刻の太陽を見ながら

こんな計算をしてきた 先人の偉大さを思った

霧雨

霧雨


目には見えないくらいの 霧雨が

かすかに髪をぬらし始めた

空は一面 灰色に染まって

わずかに薄くなった雲の隙間に

ぼんやりと太陽の影を覗かせている

自転車のサドルに 細かな水滴もつき始めた

子供たちは この霧雨に気づかないのか

まだ バトミントンに興じている

そろそろ 夕方のチャイムがなる時刻だ

鳥

さっきまで この木に十数羽の鳥が止まっていた

リーダーの合図で 一斉にどこかへ飛び立っていった

一羽だけ残った君は どうして行かなかったの?

仲間に入りたかったんじゃないの?

夜はまだまだ寒いよ

同じ仲間と一緒にいたら 心もきっと温かくなるから

勇気を出して 仲間の許へ飛び立とう!

勿忘草

勿忘草


勿忘草 (わすれなぐさ) といえば 

古い歌だが梓みちよの 「勿忘草をあなたに」 を思い出す

  別れても別れても 心の奥に

  いつまでも いつまでも

  憶(おぼ)えておいて ほしいから

  幸せ祈る 言葉にかえて

  忘れな草を あなたに あなたに


この花の名前の由来は

ある若者が ドナウ川の岸辺で恋人のために青い花を摘もうとし

足をすべらせ川に落ちてしまう

彼は少女に向かって 「僕のことを忘れないで」 と叫び

急流に飲み込まれてしまった

残された少女は 若者の墓にその花を植え

彼のことばを花の名にしたといいます


勿忘草を見つけたとき この歌が頭の中に流れ出した

年を取ると 何かにつけ昔を懐かしむ時間が多くなる

朱塗りの社

尾張稲荷大社

尾張稲荷大社は尾張温泉の守護神として

掘削に成功した昭和41年に 京都の伏見稲荷からご分霊を受け建立された

極彩色の社殿は 鮮やかな総朱塗りとなっていて

その美しさに 通るたび目を奪われる

この小さな社殿に 日本建築の伝統美を感じる一瞬でもある

フヨウカタバミ

勿忘草


固かった蕾を 少しほどいて

今日の準備は整いました

明日はきっと開こうと思います

あなたの喜ぶ顔が見たいから

道程

山道


高村光太郎の 「道程」 の冒頭に

僕の前に道は無い 僕の後ろに道はできる とある

自らの進む道は自分の力で切り開いていくのだ

その歩みが「人生」という一本の道となる と言ってる

山道を歩いていて ふと

この先も この道は続いているのか心配になることがある

今来た道を 引き返すことはたやすい

辺りを見回して 人の作った道を探して進むことも楽だ

だが 道の無いところに道をつけることが 「道程」

人生の道は 人の数だけあって ひとつとして同じものは無いのなら

やはり この道を進もう!

繋がり

繋がり


空いっぱいに繋がり合った無数のライン

それは音声であったり 映像であったり 人を運んだり

人と人との繋がりが見えていた

世の中が進歩してくると 手紙はメールになり 出会いはチャットになり

繋がりのラインが見えなくなってきた

見えなくなった分 大胆にもなり不安にもなる

やっぱり 夕暮れの空にどこまでも繋がっているラインを見ると

懐かしさと温かさを感じてしまう

オランダミミナグサ

オランダミミナグサ


田んぼの畦に 蕾を固く閉ざした 「オランダミミナグサ」

冷たい風に戸惑って 開くのをためらっていた

太陽がやさしく暖めれば いつでも花開く準備はできていたが

今日は春一番の 冷たい強風が吹いている

今もまだ 急ぎすぎた開花時期を後悔してるだろうか・・・

資源

資源


工事現場の看板に 間伐材を使用しているという表記があった

最近はチラシなどでも 再生紙を使用していますという文字も見かける

資源を有効利用することは大切なことだと思う

でも 再生紙はザラ紙になる以外は 

コストがかかって 一般紙より高価になる

また最近では 廃棄処分の食品転売が問題になった

豊かな日本では 食品の安全基準は厳しく管理されるが

世界では飢餓で苦しんでいる人が多くいる

食べ物がなく餓死する子供たちが

何秒かに一人の割合で亡くなっている現状なのだ

資源一つをとっても グローバルな視野を持って考えたいものだ

雨水

沈丁花


今日は二十四節気の 「雨水」

空から降る雪も雨に変わり 氷が溶けて水になるという季節だ

草木が芽生え 春一番のニュースも聞かれる

気温も 三寒四温を繰り返しながら だんだん春らしくなってくる

我が家のピンクと白の沈丁花も 花芽を膨らませて

春への準備が整ったようだ

史跡

史跡


この地に住むようになって長いのだが

この頃は仕事から解放されて 毎日愛犬と散歩する日々

知らなかった地域のことがいろいろ見えてくる

長久手合戦の前哨戦の史跡が こんなところにあった

花や風景のトリミングだけでなく

まだまだ面白いことがここにもありそうだ

乙女椿

乙女椿


まるで牡丹の花かと思わせるような桃色の花

花だけを見ると 椿とは思えなかった

豪華な花弁は八重咲きではなく 「千重(せんえ)咲き」 というそうだ

花言葉は 【控えめな美】 【控えめな愛】 だが

やさしい色合いこそ控えめではあるが

そのゴージャスな花姿はとても目立って人目を引く

夏みかん

夏みかん


夏みかんは夏のものだと思っていた

散歩中に見つけた鈴なりのオレンジの玉

グリーンとのコントラストがとても綺麗で

木の葉の間からこぼれる光が キラキラ輝いて

クリスマスツリーのようだ

夏ごろにならないとすっぱくて食べられないそうだが

早く収穫しないと 鳥に食べられてしまいそうで

ちょっと気になる

ふきのとう味噌

ふきのとう味噌


年とともに食べ物の嗜好は変わってきます

若い頃は食べられなかったもの

椎茸 貝類 苦いもの

最近では これら全部が好物になっている

特にこの時期 期間限定のふきのとう

スーパーで 「ふきのとう味噌」 を発見すると

もう 買わずにいられない

この小さなビンが いくつ溜まったことか!

ほろ苦い季節の味がたまらない!

タガラシ

タガラシ


タガラシは 田を枯らすように繁茂する様子から

「田枯らし」 となったという

一部に葉や茎に辛味があるからという説から 

「田辛子」 とも言うらしいが

タガラシは猛毒で食べられないので 試しに噛むのは危険です

人にとっては ありがたくない草花のようだが

花の姿は 愛嬌があって愛くるしい

どんなものでも どちら側から見るのか

図る尺度によって見え方が違う

決してこの花が田を枯らしているわけではない

家紋

家紋2


街ではもうほとんど見かけることがなくなったけど

旧家の並ぶ田舎道を歩いていると

あちこちで家紋のついた倉屋敷を見かけることがある

現在 採取されているだけで2万近くの家紋が確認されているそうだ

そもそも家紋は

源、平、藤原、橘といった 強力な氏族が名を馳せていた時代

地方に移り住んだ氏族が 他の氏族と区別を図るため

名字を表す独自の紋章をつけたのが始まりで

その後 武家や公家が家紋を使用するようになった

血統や帰属勢力としていくつかのグループに分けることができ

それぞれがそのバリエーションで構成し

新たに創作した家紋が現代まで伝わっているのだという

あなたは自分の家の家紋を知っていますか?

我が家は 「丸に三引両」 というとても簡単な紋章で

がっかりしていたものだが

家紋は単純なものほど歴史が古く

丸に三引両は戦国時代の武将・三浦道寸の紋で

源頼朝を助けて幕府創建につくし 関東中部地方に栄たということで

ちょっと誇らしく思えてきた

こんな機会に自分のルーツを辿ってみるのも楽しいかもしれない

因みに 写真の家の扇の家紋を調べてみたが

私の調べでは扇の紋だけで167種あり

その中にも この形の紋は見つからなかった (残念)


白梅

白梅


青い空に 雪のように真っ白な梅の花が

まだ冷たい風に 早春の香りを漂わせている

車庫の屋根の上から 満開の枝を覗かせていて

道行く人が 自然に空を見上げている

日差しが柔らかくて 心が温かくなる

風の子

風の子


見えないほどの冷たい霧雨が

かすかに頬をぬらしていた

犬のリードを引く私の手は凍えて痛い

子供たちは公園の水飲水栓を噴水代わりに遊んでいる

子供は風の子と言うけど

思えば自分の子供の頃も 

遊びで寒さを感じたことは無かったなぁ

今では 冬に夏を思い 夏に冬を思う

季節を楽しむゆとりもなくなっている自分に気づく

やがて夕方5時のチャイムがなって

子供たちは急いで自転車に乗って

満足げにそれぞれの家に帰っていった

マンリョウ

マンリョウ


赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた

子供の頃 こんな唄を歌った

垣根の端に植えた マンリョウの小さな木に赤い実がつくと

鳥がやってきて いつの間にか全部食べてしまう

その鳥は赤くなんて無い 多分 灰色のヒヨドリだろう

そいつが 食後に他の木に止まって

肥料つきの種をまくので

今では あちこちでマンリョウが赤い実をつけている

ノースポール

ノースポール


冬の間は公園の花壇も花が少なく

目に付くのは 葉牡丹やビオラなど限られた種類だけだ

そんな中で 冬のガーデニングにはなくてはならない存在が

この 「ノースポール」 だろう

マーガレットをちょっと小型化したような 可愛い白い花で

可憐な姿に似ず寒さに強く

背を丸くして凍えて通る人々に 優しく微笑みかけている

株全体を白くおおうほどに咲くところから

「北極(ノースポール)」 となったようだが

どんな環境下でも 最善の姿かたちで生きる強さは

春の花のようで 感動すら覚える

アオサギ

アオサギ


いつも散歩中に見かける一羽のアオサギ

鳥や動物って いつも何を考えて生きているんだろう

昼も夜も ぽつんと一羽だけでいて寂しくないんだろうか?

人の気配や 外敵を警戒してすばやい反応に疲れないだろうか?

のんびりしてるように見えていても 神経を研ぎ澄ましていて

あったかい家庭で リラックスして生きたいと思わないだろうか?

人には分からない 幸せがあるのだろうか?

そういう不満すら考えることをしない鳥のほうが

本当は幸せなんだろうか・・・・・

田んぼのドット

田んぼのドット


カメラを持って歩いていると いろんなところに目がいく

いつも見慣れた風景も 部分だけをトリミングすると

意外な美しさを発見するものだ

刈り取られた稲のドットが 整然と並んで続いている

こんなところにも 日本人の生真面目さをうかがい知る事ができる

立春

鈴鹿の山


今日は立春 

この日の寒さを頂点として 明日からは「余寒」となる

立春は寒さが底を打った時期ということなので

「暦の上では春なのにまだ寒い」と言い交わす事も道理なのだ

我が家の前から 遠くに見える鈴鹿の山々も

白い雪をかぶって 冷たい風を更に冷やしている

そんな中でも 小鳥のさえずりや太陽の光が

春の気配を感じさせる気分になる

如月

梅

何もしないまま 気がつけばもう2月

「如月(きさらぎ)」といえば 名前の由来は諸説ある

まだ寒さが残っているので 衣を更に着る月ということから「衣更着(きさらぎ)」

草木の芽が張り出す月であるから 「草木張月(くさきはりづき)」

旧暦八月に雁が来て 更に燕が来る頃であるから 「来更来(きさらぎ)」

陽気が更に来る月であるから 「気更来(きさらぎ)」 等々

元々「如月」は中国暦での2月の古い異称のようだ

PC辞書で 「如月」は「きさらぎ」と打つと変換できるが

実は「じょげつ」が正しい読み方なのだそうだ

日本人は特異の感性で この漢字に意味づけて呼んできたらしい

確かに 公園の梅の木も今 花の芽を大きく膨らませている


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