散歩
白百合

駐車場の脇に ひっそりとユリが咲いている
自然に自生したもののようで 誰も気に留めていない
キリスト教では白いユリが聖母マリアに捧げられた花であることから
純潔のシンボルとされているそうだ
そんな白いユリが 行き交う車の風にあおられて
ユラユラ揺れている
純潔のシンボルとされているそうだ
そんな白いユリが 行き交う車の風にあおられて
ユラユラ揺れている
「ユリの女王」といわれるカサブランカを始め
ユリには多くの園芸品種が作出されている
ユリの宝庫といわれる日本では
女性の美しさを形容する言葉として
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」 と言われる
だが ここに咲いてる白百合は
誰のためでもなく 誰にも認められないまま
それでも楚々として
毎年この場所で 立ち尽くしているのだ
せめて私が写真に撮って
その存在を記録しておこう
ユリには多くの園芸品種が作出されている
ユリの宝庫といわれる日本では
女性の美しさを形容する言葉として
「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」 と言われる
だが ここに咲いてる白百合は
誰のためでもなく 誰にも認められないまま
それでも楚々として
毎年この場所で 立ち尽くしているのだ
せめて私が写真に撮って
その存在を記録しておこう
視界
秋空
柿
小さな幸せ
朝鮮野菊
白い太陽

光の3原色と色の3原色 違いが分かりますか?
光の3原色は R(レッド)G(グリーン)B(ブルー)
これらを混ぜ合わせる割合でいろんな色を再現します
但し 光なのでたくさん混ぜ合わせると明るくなり
すべてを100%混ぜ合わせると無色 つまり白くなってしまいます
その存在が太陽です
色の3原色は C(シアン)M(マゼンタ)Y(イエロー)
同じように混ぜ合わせる割合によっていろんな色を再現しますが
光と違って印刷インクのような物体なので
混ぜ合わせる量が多くなると暗い色になり
すべて100%になると黒になります
この両者には3原色で作り出せない色が1つづつあります
光では「黒」 色では「白」です
光が黒を作るためには 何も光を出さないことであり
色が白を表現するためには 何も色を付けず紙の白を残すことしかありません
昼間の太陽はまぶしくて直視できないけど
夕暮れの太陽は はっきりと確認できます
そして周りの塵や雲に光の一部を反射して
赤く染めています
故郷の山
故郷・郡上八幡
株杉
モネの池
尾張温泉
山の日
アベリア
和名を 「ハナツクバネウツギ」 といい
がく片が実のところに残り
羽子板遊びのはね(衝羽根)に似ていることに由来したようだ
がく片が実のところに残り
羽子板遊びのはね(衝羽根)に似ていることに由来したようだ
花言葉は
小花を長期に渡って咲かせ続ける樹勢の強さから 「強運」
個々の花の小さくつつましい姿から 「謙虚」「謙譲」 といわれる
今 リオ五輪では 体操 水泳 柔道 カヌー 等々
日本選手団の活躍が報道されている
どの競技においても 日本選手の 美しさ 謙虚さ 強運 は
同じ日本人として誇らしい
彼らのことを 「○○ジャパン」 と花の名前が付されることも多いが
この酷暑の中 耐えるように 謙虚でたくましく咲いている
アベリアの花も 「アベリア・ジャパン」 だなぁと
一人納得する (^^♪
小花を長期に渡って咲かせ続ける樹勢の強さから 「強運」
個々の花の小さくつつましい姿から 「謙虚」「謙譲」 といわれる
今 リオ五輪では 体操 水泳 柔道 カヌー 等々
日本選手団の活躍が報道されている
どの競技においても 日本選手の 美しさ 謙虚さ 強運 は
同じ日本人として誇らしい
彼らのことを 「○○ジャパン」 と花の名前が付されることも多いが
この酷暑の中 耐えるように 謙虚でたくましく咲いている
アベリアの花も 「アベリア・ジャパン」 だなぁと
一人納得する (^^♪
ねむの木の花

毎月定期購入の寄せ植えの鉢が届く
7月に届いたネムの花が咲き始めた
ふわっとした塊が 一つの花に見えるが
実は20個ほどの花が集まった頭状花なんです
つぼみの状態をみるとよくわかります
長く伸びて花を形づくっているのは
細い糸のような雄しべの集まりで
根元の薄黄緑色のものが花弁のようで
花とは思えないほど地味な存在だ
じゃ 雌しべはどこ?
よく見ると 雄しべに混じって白いものが1本ずつあります
これが雌しべなんですね
花の形って いろいろあるもんだなぁ・・・・
因みに
オジギソウの葉は 触ると閉じるが
ネムノキの葉は 触っただけでは閉じない
夜になると ゆっくりと自分で閉じる
それがまるで眠るようなので 「眠りの木」
そして 「ねむの木」となったそうだ
夏草の生命力
怪鳥アオサギ
青もみじ
雷雲
ザクロの果実

ザクロの花が咲いている と書いたのは
つい先日のことのように思う
吉田拓郎の歌に 「真夜中のタクシー」 というのがあって
運転手との会話で
「まあしかし 何にしても1年がますます早く感じますよ
一年の長さって 昔も今も同じなんですかね・・・・」
と言っている
全く同感!
子供の頃は 夏休みだ 遠足だ お正月だ お祭だ と
待ち遠しい行事が目白押しで 1年はとても長かった
年をとってしまうと 待つ楽しみもなくなり
変化のない日常が 同じように過ぎていく
花が咲いても 実がなっても
短い記憶の中にしか蓄積されていない
この公園で花を見たのは 2~3ヶ月も前のことだし
前にザクロの実を見てから1年が過ぎているのに
ついこの前のような気がしてしまう
そしてまた今 ザクロが実をつけているのを見ている